..息子は官僚そして親友が警視庁幹部
警察官僚 内閣情報官 北村滋(きたむら しげる)
警察庁官房長中村格
..息子は官僚そして親友が警視庁幹部
警察官僚 内閣情報官 北村滋(きたむら しげる)
警察庁官房長中村格
これを解明するかのような動きがある。
大本幹部の伊佐男氏と元特高課長の杭迫氏とは第二次事件のなかで、逮捕や拘留、取り調べなどを通じて、当然、お互いの顔を見知った関係であったことは言うまでもなかろう。
さて、ここからが私の推測である。
これに大本はすばやく反応し、原水爆反対の署名運動を全国に展開し、六月には百六十万人もの署名簿を国連事務総長へ送っている。旧弾圧側はこの大本の全国的な社会運動から過去の大本の全国的な「昭和神聖会」運動を連想し、危険と感じたのではないか。そして、急に「現代人」七月号から杭迫氏の「反大本原稿」の執筆が始まったのではないだろうか。
この榮二氏の更迭のことが、伊佐男氏の挨拶と合わせて「愛善苑」誌十二月号に載っているが、更迭理由が「対外的活動に忙しく内部事務がおろそかのため」という「こじつけ」のようなものである。
しかも、榮二氏の活動について「東奔西走している」とのみあるだけで、全国的署名運動や国連への署名簿の送付などの原水爆反対運動には全く触れていない。つまり、無視というか、大本とは無関係を装っているとしか言いようのない扱いである。
あたかも旧弾圧側の杭迫氏の反大本の主張を受け入れたかのように、大本の社会的活動が封じられてしまったのである。
大本の全国的運動に旧弾圧側が反応。その旧弾圧側に対応して榮二氏が更迭されるとともに、伊佐男氏の「三代伊都能売御霊論」が発表されている。これを見ると、大本の動きが再弾圧への警戒感を極度に高めたものであるとともに、旧弾圧側にも、弾圧めいた考えが戦後もなお継続していたと想像することは容易である。
大本が聖師の「みろく下生」たる教義を持ち続ける限り、弾圧側と弾圧される側の構図が、戦後もなお続くことを伊佐男氏や幹部役員が認識していたため、その教義を封印してきたということである。
つまり、「三代教主伊都能売御霊論」は再弾圧防止対策としての方便、旧弾圧側に対する「カモフラージュ」ということである。このように私は推論する。
〔宗教文化は誰のものか 永岡崇〕
〔大本七十年史によせる 出口直日〕
〔中外日報 昭和五十六年七月二十四日号〕